プレ・レクチャー第2段「1924 モダンガール」

10月10日は待望のプレ・レクチャー第2段「1924 モダンガール」通称「女子会」がありました!

ゲストに日本モダンガール協會代表 淺井カヨさんと早稲田大学非常勤講師 鈴木貴宇さんのお二方をおよびして、「モダンガールとはなんぞや?」と多方面から語り合う、映像あり音楽ありお茶菓子あり、の充実の2時間でした。素敵な時間を有難うございました!

さて、ここではその内容を一部抜粋にて、ご紹介いたします!

・モダンガールの3大セット
皆様、モダンガールといえば、まずは何を思いつきますか?
会場にも、多くの方が、思い思いのモダンガール(以下:モガ)・モダンボーイ(以下:モボ)ファッションでいらして頂きました!多謝!
和服の方もいらっしゃいましたが、鈴木貴宇さん曰く、「断髪、露出、洋服」がモガの三大セットだそうです。
断髪というのは、いわゆるおかっぱ等のショートヘアーで、肩など露出がある洋服を着ていると、「あの人はモガね。」と後ろ指をさされたようです。

なぜ、後ろ指をさされたのでしょうか。それには、深いわけがあるのです。

・消費文化を体現したモガ
モダンガール。言葉の響きからすると、時代の先端をいく、ファッション誌を飾るような人々のことをさし、人々の憧れの的であった、かと思いきや、当時代の人々からは、良いイメージでは語られてなかった、とのこと。

和装・長髪が一般的であった時代において、上記に挙げたモガは、当然、人々の注目を集めます。
しかしながらそれは、好奇の対象としてであり、漫画・映画などのメディアに取り上げられ、イメージが先走ります。
それはつまり、モガには、(平塚らいてうらに見られるような)「新しい女性」としての思想性は無く、大衆文化に消費される存在であった、とのことです。

では、どのように彼女達は語られたのでしょうか。

・国境を超える肉食女子
肉食女子という言葉は当時にはないので、もう少し丁寧な言葉に変えると、モガは「性に対して自覚的な女性」であった、とのこと。
今日でも露出が多い服装をしていると、そんな風に思われますよね。

ですが同時に彼女達は「母親になることを否定」していたとのこと。つまり、「家庭的」という言葉からは遠い存在であるということで、「家族」という柵から解放された女性であった、とも言えます。
ですがそれは時に、同性からの妬ましさをかうのでした。

また、モガは国境を軽々と越える、と鈴木貴宇さん。
実際、当時、日本の植民地であった朝鮮に渡ったモガは少なくなかったとのこと。当時の歌謡曲にも、箱根よりもパリに行きたいわ、という内容の歌詞があったりと、グローバルな視点を持っていたようです。

そしてまた、モガは本が読めることが第一条件であったとのこと。内容の理解はさておき、「教養のある振り」が出来ること、それが一人前のモガへの道。
時にそれは、揶揄の対象になったのですが、彼女達にはどこふく風。

モダンガール、それは近代の予兆に夢見る乙女。
彼女達は、平成を生きる私達の中に、今もなお、息づいています。

(アシスタント清水)